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知ってるつもり?! マヤ人と暮らし共に戦ったスペイン人 ゴンサロ・ゲレーロ

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今から8年前、

 

世界中でヒットした映画があります。

 

 

 

アバター。

 

 

 

 

 

架空の世界でアバターとなった主人公が

 

最終的には自身が所属していた軍隊に弓を引き、

 

先頭に立ってアバター達と立ち向かうと言う映画。

 

今年、2017年12月に「アバター2」が全米で公開予定もされています。

 

 

 

実際の歴史でも同じ様な事が起きた事をご存知でしょうか?

 

同胞がメキシコ先住民達を撲殺し、文明を破壊して行く中で、

 

ただ1人、先住民達と共に大航海時代の巨大戦力スペインに真っ向から挑んだ男、

 

 

 

ゴンサロ・ゲレーロ。

 

 

 

 

 

 

 

彼はメスティーソ(混血)の父とも呼ばれ、

 

アメリカ大陸で初めてヨーロッパ人と先住民と婚姻を結び、

 

マヤの人々と共に生活をしていた。

 

ゴンサロとマヤの民、

 

人種の壁を超えて通い合ったものとは。

 

 

 

 

 

 

こんばんは、知ってるつもりです。

 

 

 

今日は、

 

 

ゴンサロ・ゲレーロです。

 

 

 

 

 

 

ほとんどの方が初めてお聞きした方だと思いますが、

 

彼はメスティーソ(混血)の父とも呼ばれ、

 

現在メキシコでは先住民とヨーロッパからの移民の混血(メスティーソ)が

 

人口の約6割を占めていますが、

 

その初めてのケースが彼の息子達だったと言われています。

 

メキシコでは英雄扱いをされていますが、

 

スペインでは国賊扱いされています。

 

スペイン人によって様々なアメリカ先住民たちの文明が破壊されますが、

 

そんな中、彼は先住民のマヤ人達と共に巨大帝国スペインに立ち向かいます。

 

巨大戦力に立ち向かう、判官びいきの日本人なら共感するような

 

彼の生き方を今日は少しご紹介します。

 

 

 

 

ゴンサロ・ゲレーロは1470年スペインのウエルバにある

 

パロス ・ デ ・ フロンテーラで生まれる。

 

 

 

 

 

ゴンサロ・マリネーロ、ゴンサロ・デ・アロカ、

 

ゴンサロ・デ・アロサと呼ばれていた。

 

しかし、それ以外で彼の幼年期の知られている事は非常に少ない。

 

 

グラナダ征服後、失業していたゴンサロ・ゲレーロは、

 

彼の領主を納得させるためにアメリカ新大陸の土地に活路を見出す。

 

1508年、既に故人となったイザベル女王とクリストバル・コロンブスに代わり、

 

フェルナンド王が植民地における政治的な力を回復することを決定。

 

当時発見された新大陸では暴動が多発していたため、

 

海を渡る勇気ある者に現地への調査を促進させる。

 

この調査に失業にあえいでいたゴンサロ・ゲレーロも参加する。

 

 

1511年8月15日ホンジュラスのドリン港を出港。

 

 

航海3日目の夜に嵐に巻き込まれ船がジャマイカ島沖で座礁してしまう。

 

 

 

 

小舟に命からがら唯一の20人、18人の男性と2人の女性が救出される。

 

 

 

 

しかしそこから水もなければ、食料もなく、

 

飢えや渇きに苦しめられ、14日間の漂流を経て、

 

小舟がユカタンの海岸に到着する時には8人にか生存していなかった。

 

どうにかユカタン半島東岸に漂着するが、

 

先住民に捕らえられ4人は儀式の生贄とされた。

 

残りの船員は儀式前の軟禁状態から逃亡し、

 

別の敵対する先住民の部族に保護を求めるが捕らえられ奴隷となる。

 

生き残ったのは宣教師のアギラールと水夫のゴンサロ・ゲレーロだけだった。

 

それから8年の歳月が流れ、

 

ユカタン半島に”コンキスタドール”エルナン・コルテスがやってきた。

 

 

 

 

 

コルテスはコスメル島の近くに「白い肌に長い髭の男」がいるという噂を耳にする。

 

さっそく彼は噂の男に連絡をとった。

 

 

数日して、彼の前に現れたのは、裸体で全身を赤く塗り、

 

 

髪を束ねすっかりマヤ人に同化したアギラールであった。
アギラールはスペイン人に会うなり「今日は水曜日か?」と尋ねた。
宣教師であるアギラールはマヤ人と過ごした8年間の間も馴染むことなく

 

 

キリスト教歴で日付を数えていたのだという。

 

 

長い生活でマヤ語を覚えたアギラールは

 

 

コルテスにドーニャ・マリーナとともに通訳として仕え、
コルテスのアステカ侵略に一役買った。

 

 

 

 

一方、ゴンサロ・ゲレーロは

 

チェトゥマルの首長ナチャン・カンに奴隷として仕えたが、
勇敢な戦いぶりを評価されて指揮官から首長にまで出世し、

 

 

 

 

 

 

首長の娘ザジル・ハと結婚し3子をもうけていた。

 

 

 

 

スペイン軍へ復帰することを説きにアギラールが彼の元へやって来た時には、
ゴンサロ・ゲレーロは耳や鼻、口に穴を開け飾りを付け、

 

顔には刺青までしてアギラール以上にマヤ人に同化しきっており

 

再三の説得にも関わらずスペインへの帰属を拒絶した。

 

 

 

 

その後ゴンサロ・ゲレーロはマヤ族の首長としてスペインと戦い続け、

 

 

後にスペイン軍との交戦で

 

 

1536年8月13日ホンジュラスの地で命を落としている。享年66歳。

 

 

 

 

 

後に彼の遺体はマヤ人々 によって拾われ、ウルウア川に投げ込まれた。

 

 

25年前、彼をアメリカ大陸に導いた同じ海に続くウルウア川に。
なお、ゴンサロ・ゲレーロの子らは

 

最初のメスティーソ(マヤ族と白人の混血)といわれ、
その父であるゴンサロ・ゲレーロはメスティーソの父、

 

 

侵略と略奪を繰り返すスペイン人に立ち向かった勇敢な男として英雄視され、
今でも多くのメキシコ人から親しみをもって受け入れられている。

 

 

 

 

 

 

 

祖国への帰還を拒否し、

 

自分の家族とマヤの人々と共に異国のユカタンの地に残る事を決断した、

 

ゴンサロ・ゲレーロ。

 

 

彼はその後自分の祖国と相見える事は簡単に想像できたはず。

 

国際化が進んだ現代でも彼のような勇気ある決断を果たしてできるでしょうか。

 

本当の愛とは、そして本当に守るべきものは何かと、

 

遠くを見つめる彼の銅像が我々に問いかけている様にも感じられます。

 

 

 

 

 

最後に彼が帰還要請に対して答えた言葉をお聞きになりながらお別れを。

 

 

我が同志アギラールよ、

私はここで結婚し、3人の子供もいる。

戦いがある時にはマヤの人々は

私を酋長や指揮官とみなしてくれるほど信頼されている。

私の顔には彼らと同じように刺青が、

私の耳には彼らと同じように穴が開いている。

スペイン人がこのような身なりの私を見たら何と言う?

スペインに帰ったら私の兄弟に伝えてくれ。

ゴンサロには3人の可愛らしい息子たちがいて幸せにしていると。

 

 

 

ゴンサロ・ゲレーロ

 

 

 

 


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